自己開示の匙加減

自分の一挙手一投足を克明に記録しているかのごとき、そういうブログがたまにあって、単純に覗き見趣味的な関心から読んじゃったりもするんだけど、読後感じる「痛々しさ」のようなものはどうしても拭えない。もちろん、そこに書かれていることが全き「真実」である保証はどこにもないし、そもそも何か現実に起こったことを活字に落とし込むということ自体が優れてフィクティヴなものであるにせよ、そこまでさらけ出す必要は微塵もないんじゃないか、と思うものがあることは確かだ。

でも、逆に、自分に関わらないことどものみを記すというのも、それはそれで味気ない、というか、そこに記されている情報のようなものを知りたいだけだったら、もっと効率的で信頼のおけるソースがウェブ上にはあったりするわけで、そうしたものを読む価値というのもあまりない。

だから、ごくごく当たり前のではあるのだけれど、もっぱら騙りのない情報の提供と、痛ましいまでの自己開示の中間を、その両極端の間の濃淡はあるにせよ行くべきで、もうちょっと「個人的」な部分を押し出すべき、と我が事についても思うのだけれど、今ひとつ踏み切れないでいる。

別に、知られて困るということは何一つないにせよ、そうした「踏み切り」を圧し留めるものは何だろう。それを考えることは、それはそれで面白いかもしれない。