いきなり復活させてみる。理由はとくにない。



「理由はとくにない」と上に書いたけれど、よくよく内省してみると、ないことはない、という気もしてくる。

たとえば、ブログとしてはすでにもうひとつ、メインとでも言うべきものがあるのだけど、そこではある程度まとまったことを書く方向性のようなものができあがってしまっているので、そこでもっぱら漫然なる雑感のようなものを垂れ流すのは、あまり気が進まない。

それでは、Twitter のアカウントを持っているのだからそこでもっぱら漫然なる雑感を垂れ流せばいいではないか、とも思われ、そしてじじつ、自分としては「もっぱら漫然なる雑感を垂れ流す場所」として Twitter を捉えてはいるのだけど、幸か不幸か、Twitter の持つコミュニケーションツールめいた側面が、雑感の漫然さもっぱらさを削いでしまう。

となると、長らく放置していたここで、コメント欄トラックバック欄を無効にして、ひたすら、もっぱらに、漫然なる雑感を垂れ流すのが最適解なのではないか、と思われ、そうすることにした。



これまでメモをとるのに、デジタルとしては iPhone + neu.Notes+、アナログとしてはインデックスカードを使っていたのだけど、インデックスカードは取り回しにはすぐれているものの、ある一定のかたまりとして保持したいカード群がばらばらになってしまいがちなので、モレスキンを買ってみた。

モレスキンといえば、熱狂的というか、なかばファナティックなユーザーが多いという偏見を持っているのだけど、こころみに「モレスキン」で検索をかけて出てきたページを読んでみると「モレスキンを使う理由」として「自分が安く見られないため」というようなことをかかげる人がおり、「偏見」が「確信」に変わりつつある。

ちなみに、おれがモレスキンを選んだ理由は、「それなりの値段がするし、買ったらもったいなく思ってちゃんと使うにちがいない」という下世話なものにすぎない。



「フローとしてのインデックスカード、ストックとしてのモレスキン」といういやらしい言い回しが思いうかんだけど、すでに使われていそうである。

Encyclopedia Britannica の通読記である Know-It-all をたのしく読んだ A.J. Jacobs の The Year of Living Biblically を買って読みはじめたのだけど、期待にたがわずたのしい読みものであり、調子に乗ってがんがん読んでしまいそうなので、タームペーパーの採点が終わるまで封印することにした。

タームペーパーの採点といえば、その必要から Peter Strawson の "Freedom and Resentment" を読み直しているのだけど、この論文とすこぶる相性がわるくて苦労している。