アルトーについて

何か書きたいんだけど、なかなかうまく纏まらない。
いや、「纏まらない」というよりも、実際のところアルトーについて何が書きたいのか判然としない、という感じだろうか。
それは何より、ぼくがアルトーのことをよく分かっていないことから起因することだろうけど、分かっていないからこそ、アルトーについて何かを物することによって、「分かり」に一歩でも近づきたい、ということがある。
漠然と、アルトーについての土方巽的というか寺山修司的というか、いわゆるアングラ的な受容というものについての反撥はあるのだけれど、それをどう表現し、そしてそれに対置するものとしての「ぼくのアルトー」をどう提出するか。
とりあえずアルトーのテクストを読み返すところから始めよう。